1年の締めくくり(令和6年度修了式)
5日遅れとなってしまいましたが、去る3月24日(月)、本年度1年間の教育活動の締めくくりとして、本校体育館において令和6年度修了式を実施しました。
卒業式後初めて1,2年生全員が集合した体育館は、それまで3年生が居た分だけスペースができ、ステージ上から見た印象は「一気に少なくなったな」という寂しさにも似た感覚を感じました。
各学期の節目である始業式や終業式などでは、生徒たちが夢や希望に力強く向かってほしいとの思いを込めて、様々な角度から話をしてきましたが、1年の締めくくりである学年末の修了式では、自分自身を俯瞰した視点で見つめ直すことを目的に「物事の価値」について、次のようなお話しをしました。※以下概略(内容の要点のみで原文とは異なります)
人はみな、自分自身の目の前の物事に対してそれぞれの価値観を持っており、自分の趣味嗜好や生活環境、性格や性別など、自身を取り巻く様々な要因によってその価値観が変化します。そして、そうした個人の価値観で物事の良し悪しや、要不要、優先度などを評価して取捨選択を繰り返しています。
一方で、この世の中に存在するあらゆる物は、それぞれに一定の価値を有しているからこそ存在しているのであり、価値のないものなど何一つないこともまた事実であります。
しかし、一定の価値を持つはずの「もの」自体を評価し、価値という値札をつけるのは評価する側の人間であり、価値を持っているはずの「もの」自体ではないのです。
更に、人は何に価値を感じ、また感じないかは人それぞれである一方で、すべての人が価値を感じるものに共通していることは、その価値を評価する側の人にとって「満足を与えるもの」であり「必要とされるもの」であるということです。
これを、私たち人間に置き換えると、言うまでもなくすべての人はみなそれぞれに価値を持っており、価値のない人間などこの世の中に存在しないのであり、本校に在籍する全ての生徒たちもまた、それぞれに日々研鑽を積み、光り輝く価値を持っていることは紛れもない事実であります。
しかし、自分の価値は自分が決めるものではなく、自分に関わるすべての他者が決めるのであり、「自分はこんなに頑張っています」とか「自分にはこんな素晴らしい力があります」などと言っても社会ではその価値を認めてくれることにはつながらないのです。
真に価値ある人間になるためには、自分の価値を評価する側の人間である他者にとって「満足を与える存在」であり「必要とされる存在」であることが重要であり、だからこそ、今現在皆さんが情熱を持って努力を重ねている勉学や部活動、そしてこの先の人生に描く夢や希望は、何のためにそれを目指すのかという「目的」が、自分の自己満足のためではなく、大切な誰かにとって「満足を与えること」であり「必要とされること」である必要があるのです。
自分が満足することを目的としている人は、どんなに地位や権力、財産があろうとも、振り向いたら誰もいないような寂しい人生を送ることになるのです。
生徒の皆さんは、皆それぞれに価値があり、個性があり、無限大の可能性があるのだからこそ、また日々直向きに努力を積み重ねているのだからこそ、その目的を「誰かのため」という視点をもって定め、真の価値を高めていってほしいと願います。
皆さんの努力がやがて実を結び、心に描いた夢をその手に掴んだとき、それは同時に皆さんにとって大切な誰かの夢が叶うときであって、その大切な誰かに喜びや幸せをもたらすことこそが、やがて自分自身の価値を高め、自分自身の喜びや幸せにつながるのです。
越南生の皆さんなら、そんな生き方が必ずできると信じています。
頑張れ、越南生!